令和7年度 会長あいさつ

会長 浅岡 顕(下関にて)

  今年1月に,浅岡が技術顧問をしているジオラボ中部で新年会をしたおりに,役員の皆様と地震と地盤力学について雑談する機会がありました.私の勤め先が「地震予知総合研究振興会」のこともあり,そのような話になったのでしょう.
その折に,二つの事柄が共通に皆様の注意を引きました.それらは,
① 南海トラフ地震とか首都直下地震とかが最近話題だが,そのような地震は,本当に来るのか?来るとすればいつ頃に?
② 「降伏曲面(降伏関数)」の上(表面)を応力が変化する時は,つまり負荷時には,土は弾塑性変形をするが,降伏曲面の内部での応力変化は土に弾性変形しかもたらさないと,昔教わった.そうすると地震のような繰り返し載荷のときは,最初の大きな一撃こそ地盤は塑性変形しても,それ以降の小さな繰り返し載荷では地盤や土は弾性変形しかしないことになる.つまり地盤は地震では壊れないことになってしまう.どこがおかしいから,こんなことになるのか?
 新年会のお酒の勢いで,上の①,②の回答など簡単と思って引き受けたのですが,2月中旬に取り掛かって,土曜日曜を6回は使う羽目になり,結果は「地震と地盤力学」と題する,58ページの少し長いエッセイ風の読み物になりました.
 実は,今年7月の地盤工学会全国大会の前日に,大谷順先生が中心になって「浅岡研OB会」を開いていただきましたが,最初に短い講演を依頼されていて,この58ページの読み物をお配りしました.「講演」そのものは,浅岡の助教授時代と教授時代の,教え子の先生方の活躍の思い出話だけに終始することになりましたが,しかしお話をしていて,1995年の阪神淡路大震災以来,名大地盤研の土質力学はこの兵庫県南部地震が原点になっていることを,あらためて思うことになりました.それをごく手短に書いて,今年の会長挨拶にしたいと思います.
 阪神淡路の前年1994年3月に,浅岡・中野・野田で「限界状態近傍における粘土の水~土連成挙動」というS&F論文を発表していました.Cam-clay modelの解説論文のようなところもあり,著者ら3人は控えめに構えていたのですが,実はその逆で,この論文を通じて「Cam-clay modelの本質は,日本では,まだほとんど知られていない」という戦慄の事実を知る羽目になりました.「限界状態」という言葉はcritical stateの日本語訳ですが,それ自体が間違っている.その先へはもういけないギリギリ限界の状態のように理解する学者ばかりという事態をみて,彼らは誰もカムクレイモデルを理解していないことが,分かってしまったのです.「限界状態」は日本語に訳すとすれば「臨界状態」が正解です.氷と水の臨界温度が摂氏0度,水と蒸気の臨界温度が摂氏100度のあの臨界です.1994年は浅岡が教授になって6年目の年でしたが,「この戦慄の事実」のおかげで,3人のうち少なくとも浅岡は,すでに学会の最前線にいるような気持にもなっていました.
 そこに来たのが1995年1月の阪神淡路です.この地震で浅岡は,土質力学など本当は何も知らないことを,これでもかと言うほど徹底的に思い知らされることになった.他の教授や学者のことなど,もうどうでもよくなった.人と比べるなどと言うのは,もともと本当の学者のすることではありません.たとえ一研究室になっても,たとえ一人になってでも,「土質力学を,地震の問題がみな解けるように,何とかしなければならない」と痛切に思いました.阪神淡路を目の当たりにして勇躍,面舵をいっぱいに切って太平洋の荒波に船出したことが名大土質研の原点だと思っています.今年でもう30年になります.
 「力のつり合い式の積分では本当は何も解けていない.すべからく運動方程式を基礎にしていなければならない」と野田自らがそう思って,それを完成させたのは野田先生です.彼がオランダのデルフト工科大学へ出張中のわずか1年で,研究室の解析コードを全部書き換えてきたのですが,その功績はもう揺るぎないものです.
 「構成式の研究ばかりやっていても,土質力学の全体は見えない」,浅岡は酔っぱらってよくそんなことを言い続けていたのですが,阪神淡路の後少しトーンが変わってきて,「構成式ばかり研究してきたと言っても,彼らには,その目的が何だったかはよく語れていなかった.だから今,我々が使う構成式は何もないのだ.阪神淡路を見ればもう目的は明らかだ.我々で新しいのを作らなければならない」という風になりました.野田君などは,なんかだまされたみたいな顔をして,「構成式も,結局はみな自分らでやるのか」とキョトンとしていました.実際,砂から粘土まで我々が使う構成式は,みな研究室自前のものですが,研究室全員の努力の集積の結果です.
 浅岡は2003年にシンガポールのアジア会議で「砂と粘土はどう違うか」についてキーノートレクチャーをしましたが,考えてみれば土質力学の論文のタイトルとして「砂と粘土はどう違うか」などというのは,これ以上人を食ったタイトルはありません.しかし研究室一丸のおかげで,これを仕上げることができました.心から感謝しています.
 2011年3月11日には,東北地方太平洋沖大地震が起こりました.モーメントマグニチュード9.0なんていう地震は,本当にあるのかというほどの大地震ですが,この時は,阪神淡路の時とは違って,冷静に受け止めることができました.浦安の液状化などでも,研究室は素早い対応を見せて,浅岡は振興会で恥をかかずに済みました.山田正太郎先生の「複合負荷面」の構成式もほとんど出来上がっていたころではなかったかと思います.そして長周期地震動による地盤災害,粘土地盤の遅れ破壊,砂地盤の(再)液状化の話など,ほとんどすべてが名大の「独占的研究」になっています.
 
 浅岡は先月白内障の手術を受けて,両眼視力が1.2を上回るようになって,今までのようにすりガラス越しに見えていたのと比べると,とても澄んで明るく,クッキリとよく見えるようになっています.それを伝えたら野田先生から返事があって「そのよくなった目で見たら,今の我々の研究は,どのように見えていますか?」と言ってきました.返事はまだしていませんが,今年の下関の地盤工学会での発表論文17編にすべて目を通して,心から驚いています.この17編に岐阜大学と東北大学のものを合わせると,大変なことになります.どれもみな一流以上のものでした.こういった中身をもう少し詳しく書いて,すぐ返事しておけばよかったと悔やんでいます.
 白内障というのは,水晶体がだんだんとすりガラスのように曇ってきて,視力が落ちることらしいですが,これは目医者が水晶体を透明なプラスチックレンズに置き換えて,完治させることができる.問題は心の白内障です.知らずしらず,長い時間をかけて,心の中にすりガラスを作っていないかどうか,これは自分自身でなければ,知ることも直すこともできない.浅岡の,すぐに慢心して,浅岡に関係のないよその研究室のことなんか,まったく興味がないとしてしまう,この悪い癖は,長年かけて自分で作ってきた心のすりガラスのせいでしょう.早く直さなければならないと反省しきりです.


(公財)地震予知総合研究振興会副首席主任研究員
名古屋大学名誉教授 浅岡 顕