令和2年度 会長あいさつ

最初に,堤防技術について少し明るいニュースを紹介したい.
昨年のジオアジア総会から2か月後,令和元年10月12~13日,台風19号による大規模な洪水が発生し,長野県千曲川,福島県阿武隈川を中心に全国で142箇所の河川堤防が決壊し(うち86%は越水が主要因),約3万5千haが浸水するなど甚大な被害が生じた.2015年鬼怒川堤防の決壊以降今更のように「危機管理型ハード対策」の重要性は言われてきていたが,その不十分性が改めて露呈する結果となった.
これを受けて,今年2月国交省水管理・国土保全局(旧河川局)内に「台風19号の被災を踏まえた河川堤防に関する技術検討会」が発足し,3回の審議を経て,今年8月に入り報告書最終版が公になった.堤防強化技術の開発については検討会の外側にいる民間土木技術者に対して広く意見聴取が行われた.これを日頃からの研究開発の成果発表の機会と捉え,積極的に応じられた(一社)鋼管杭・鋼矢板技術協会をはじめとする土木技術者には,心からの敬意を払いたい.

報告書では「土堤原則」の廃棄こそ表立っては謳われてはいないが,従来の天端舗装と裏法尻補強だけの「危機管理型ハード対策」には限界があることを認め,より高い効果を有する「粘り強い河川堤防」を目指して,大別,①堤防被覆型,②断面拡幅型,③一部自立型(鋼管矢板やソイルセメント壁を含む)に分類される堤防強化技術の研究開発を,公的研究機関,民間,大学との連携も構築しながら推進するとしている.実際,このコロナ禍の中,千曲川穂保地区の復旧現場を視察された先輩によれば,従来の危機管理型ハード対策をしのぐ,裏のり面を全面連結ブロックでカバーした耐越水堤防が建設中であったという.「ソフト」でたとえ命は救えても,住居・財産を無くしては,被災者は生きる意欲を失う.その光景はもう毎年目にしている.昨年このメッセージでも書いたが,防災の原点はハードにある.土木技術者はその先頭に立っている.

こうした矢先に,土木技術者の社会的責任が問われる,大変な事態に今更ながら心奪われている.6月7日東京新聞朝刊一面で「東京アラート」と並んで,「リニア27年開業延期へ 静岡で会談 知事,工事認めず」という記事が飛び込んできた.南アルプスの地下水環境の変化と大井川水系の水枯れを心配する静岡県が,県内の工事を認可しないことによって,「リニア中央新幹線」品川~名古屋間の2027年開業は遅れることになった,というものである.「静岡県のせいでリニアは遅れる」,朝日をはじめ他の大新聞もすべて同じ論調であった.

2027年までにはあと7年しかない.トンネルが完成してからでも,浮上車両推進の反力を取る鉛直壁4枚の敷設(リニアモーターの車外側電磁コイルを巻いたコンクリート壁で,従来のレール・コンクリート床板に相当)など運行諸設備の建設,車両運行訓練と事故時の退避訓練など目白押しである.これを2, 3年でやるとしても,トンネル掘削には4,5年しかない.10.7㎞の飛騨トンネルを掘るのに,当初5,6年のつもりが10年以上かかった.大新聞がリニア歓迎の論調を張るのは自由としても,2027年の工期は守れると思っていたのだろうか.

工期を措いても,そもそもトンネル掘削は可能なのか?伊那山地主稜線は花崗岩からなり15㎞のトンネル掘削は楽だとしても,25㎞の南アルプス(赤石山脈)トンネルはその逆である.赤石山脈の地質は西南日本外帯に属し,主体はおよそ1億年前~2000万年前に形成された四万十帯という付加体によって構成されている.その付加体には,泥質基質中に海洋性と原地性の様々な規模と種類の岩塊が混在したメランジェという,きわめて不均質で激しい剪断構造を有する地質体が多くの層準に存在する.赤石山脈の四万十帯はそれに加えて2000~1500万年前の大変動(日本海拡大,日本列島形成と屈曲,伊豆弧衝突)に伴って形成された糸魚川・静岡構造線と屈曲させられた中央構造線によって東西から挟まれて激しい変形を受け,内部に新たに複雑な構造が加重(オーバープリント)されることになった.このように赤石山脈の四万十帯は西南日本外帯のなかでは最も激しい変形を受けたものである.繰り返すが,山体は,だから一枚岩などとは程遠い,極度にばらばらの混在岩(メランジェ)からなり,それらが超高圧の山体内地下水に支えられて存在している.さらに赤石山脈の隆起は100万年前から顕著となったが,最近100年間において主稜線周辺で4mm/yと世界的に最速レベルを示しており,赤石山脈は現在も強い地殻変動の場にある.トンネルは概して深く,最大土被りは1400mに達する.もともとトンネル掘削は,切羽での水圧軽減(ほとんどゼロ)を達成してからようやく前進する.だから出水は避けられない.薬液注入の最新技術は,超高圧のこの現場で信頼できるのか?仮にトンネル掘削が進み,周辺の地山状況が徐々に分かってきたとしても,そのもとでのトンネル構造物の安全性,耐久性,地震時安定性は誰がどうやって力学照査するのか.これらの情報は,外部の土木技術者にはこれまで一度も,一切公開されたことがない.多くは,予定のトンネル断面(100m2級)の図面さえ眺めたこともないであろう.
すでに見たように,どの新聞にも土木技術の理解はほとんどない.我々に南アルプス深部を通るトンネル掘削の経験はまったくない,だから彼らにそのことは正直に言おう.そして,「大井川水系の水収支をゼロにする,富士川,天竜川に水を一滴も漏らさないトンネル掘削にも,したがってまったく自信がない」.これも正直に言おう.北アルプスにも中央アルプスにも見られない,緑豊かな南アルプスを水枯れさせてしまっては元も子もない.

一私企業が夢見た6500万人メガロポリス構想が,現政権のスーパー・メガリジョン構想と重なるとしても,どの新聞もその構想を公開し,原発1基分ともいわれる電力が必要なリニアを軸に,大量の人間往来を促すこの国土改変の是非を,国民に尋ねようとはしていない.何故だか私にはわからない.このときに,「工事は本当に難しい.少し立ち止まって,ゆっくり考え直してみてはどうか」と直言できるのは,今のところ我々日本の土木技術者だけかもしれない.コロナ禍はいい機会だと思う.そのうえで,品川~甲府くらいと言うのなら,悪かぁねえ,手伝ってやってもいいぜ!

令和2年8月28日

(公財)地震予知総合研究振興会副首席主任研究員 名古屋大学名誉教授
一般社団法人GEOASIA研究会
会長 浅岡 顕