令和元年度 会長あいさつ

近年私には,防災・減災のハード離れが進んでいるように思われてなりません.少し偏った話になりますが,皆様のご意見をお聞きできれば幸いです.

ご存じのように3.11の1年後,2012年8月末に政府の中央防災会議(以下,中防)は,来るべき南海トラフ大地震で「最大,死者/行方不明者32万3千人,被害総額220兆円,6千万人に影響」という被害想定を発表しました.さすがに政府も,この数字のまま放置はできずに,2014年に「この数字は2023年度までに8割減少させる」という目標を発表し,その第1弾として今年2019年5月31日に,「中防試算では23万1千人に減少した」旨を新聞発表しました.既にして3割減ですから,何があったのかと記事を追うと,津波避難の意識向上,建物改修,火災予防の感電ブレーカーの普及が進んだためとありました.防災のハード対策の抜本的な進展の結果ではないのです.私はこのとき,32万3千人をまとめた中防のワーキングの委員たちが2013年3月の「結論」の中で書いていた,いろいろの言葉をあらためて思い出しました.「巨大地震・津波の・・・正しく恐れることが重要」「3.11震災から学んだようにハード対策に過度に依存することなく」「避難訓練や防災教育,災害教訓の伝承,・・・ソフト対策」「震度7の強い揺れ・・・必ずしも特別の対策が必要というものではない」.32万3千人を言いながら,ハード対策の軽視とも取れるこれらの言葉が連綿と続くのは,なぜどうしてなのか,その理由が今もってよくわかりません.政府の苦しい台所事情を忖度した結果とは,思いたくありません.

「ハード対策」の是非とは別に,いわゆる減災学者には,実は「ハード研究の軽視」がずっと以前からあって,この人たちの一貫した主張のように思えることも述べておかねばなりません.「減災」という言葉を初めて使ったとされている著名な学者が2007年に書いている文章から,少し引用します.「地震学者は災害研究者であって,防災研究者でない.地震学者は地震の起こり方に興味を持って研究しているのであって,地震による直接の人的・経済的被害の軽減を目指している研究者は,残念ながらいない.もちろん一流の研究者がいないという意味である.これは世界に目を転じて探してもいない」.「サイエンスとしての地震学,エンジニアリングとしての耐震工学を専門とする研究者は皆,不器用である」.「だから研究費を増やしても,実践的な成果は費用対効果を考えた場合,乏しいと言わざるを得ない」.「メカニズムの解明やハード防災技術の開発は,防災・減災にとって必要であっても十分ではない」.「地震学や耐震工学の研究を,(科学研究だからといって放置するのではなく)防災・減災戦略の一環としてもっと鮮明にして(費用対効果を睨んで)研究経営をやらないといつまで経っても(それらの研究によっては)地震予知や実践的な被害軽減はできないだろう(括弧内は浅岡の補注)」,というものです.

昨年10月末に文科省地震本部の要請で,野田先生,地盤工学会会長の大谷先生とともに,強震動による表層軟弱地盤の変状に関する最近の地盤力学の研究の進捗状況を報告する機会を得ました.そして「地盤変状は地盤の塑性変形の帰結であり,塑性変形のメカニズムは弾性(波動)理論の枠組みの外にある」から,地震学と地盤力学の協力協同が重要であることを,3.11以後の研究成果を例に出しながら,説明することができました.30分という短時間では全面的な報告には至りません.しかし説明の準備をする中で,3.11以後の研究の進捗状況が著しいことを,改めて知ることができたのは幸運な出来事でした.

費用対効果を理由に研究費の拠出を惜しんで,研究を殺すのは一時のことでしょう.しかし一度滅びれば研究の再生はほとんど不可能なことは,研究者ならすべてが知っています.ハード防災技術の維持・向上も,それを支える人材の育成も,その下支えは日々進捗を続ける研究活動にあります.防災/減災学者の,わきまえた発言のあることを願わずにはおれません.

令和元年8月

(公財)地震予知総合研究振興会副首席主任研究員 名古屋大学名誉教授
一般社団法人GEOASIA研究会
会長 浅岡 顕